親の心構え

道草こおろぎです。

本日、川崎市で小学生らが男に刃物で刺されて死傷した事件がニュースで流れていた。

まず犯人がこのような事件を起こした背景が分からないので、まず被害者の立場(加害者としての立場を考える必要があるか否かは別問題とする)として考えることしかできないことを前置きとしたうえで、、、

このような事件を見ると、特に子供を持つ親として、いつも本当に胸が苦しくなる。

何が胸苦しいのかというと、亡くなった子供の本当に怖かったであろうその瞬間、そしてその子供の親の絶望を心で共有するからだ。

それから今後自分たちの子供がこのような事件に巻き込まれるのを絶対に阻止するのが難しいという自分の無力感もある。

絶対に子供を守ることなど守りたくてもできない。ずっと一緒にいれるわけでないし、防ぎようもないこともある。

私がもし自分の子供がこのようなことに巻き込まれたら、どうなるだろう。

一つの考えとしては、この世では予期せぬことがあり、防ぎようがないことがある以上、何が起こっても受け入れるしかないとは思う。受け入れる必要があるかないかをそもそも決める必要があるかないかも今回はひとまずおいておく。

ひとまずいま言えることは実際にこのようなことが私の身にあったとしたら、受け入れるなどというこは到底できずに、絶望と後悔と怒りでおそらく自分を見失うと思う。

そしていいかわるいか人間の脳の構造上、時が忘れさせてくれるのを歯を食いしばって待つしかないだろう。時が自分を納得させることもいいもわるいもあるかもしれない。

このような事前の想像に何の価値もないし、予測をしたところで、事件事故を完全に防ぐことはできないし、いざ物事が起こった時に絶望感を薄れさせてくれることもないだろう。

子供を小鳥のように安全な籠の中に閉じ込めておくことも、怪しい行動をとりそうな人間

を前もって牢屋に閉じ込めておくことはできない。

人それぞれ生き方や考え方、人生観がある。

それでも自分を信じて生きていくしかない。

私自身に明確な答えがない以上、収拾がつかないので、本日はこれで終わりにします(‘Д’)

人として、親としての心構えとは、人生への心構えの正解が私には分かりませんが、いつか、いや生きているうちに……と願っています。

幸も不幸も。すべては生きてこそ、なのは確かなんだろうけど。

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