道草興梠です。
だんだんと涼しくなっているのですが、やはり寝るときは蒸し暑くエアコンをつけ、朝方になると冷えてくるので、切るというパターンでした。
扇風機があれば扇風機で良いのですが、引越しの際に処分してしまい…。
それはそうと一日の中で晴れたり、雨が降ったりと最近一貫性がないお天気さんです。
まぁそういう意味では人間も一日の中で笑ったり泣いたり怒ったり悲しんだりと同じかもしれませんね♪
いや俺は一日中笑っているぞ!と反論が来そう(来るか!)ですが、それはそれで問題ありですけどね。
私個人としては、ずっといい気分でいたいという願望はあり、いや人生で最終的にはこの状況を目指しているフシがあるのですが、果たして人間の構造上、いい気分が寝ても覚めても続くというのは無理なのでしょうか。
どうしても慣れというものがあるので。
たとえば南の島にいったとして、いい気分を味わえるのは数日だけで後はきれいなコバルトブルーの海も単なる海水に見えてくるでしょう。
そして一体俺は何をしているんだ、と自問自答が始まるでしょう。
そうなるとやはり人間はずっと快楽を味わうのは無理で、キツイというスパイスが定期的に必要になります。つまりキツイを味わって、それが解放されてのいい気分という風にそれのエンドレスです。
だからいい気分を味わうにはキツイことをしなければならないのです。
ということは、私の将来の目標である「ずっといい気分」は無理であることになります。
大ショックです。
結局キツイことをしなければいい気分を味わえないならプラマイゼロじゃないですか。
それならいっそのこと何もしないことと同じですし。
いやむしろ何もしないと生活できないではないか!(語尾がおかしくなってるよ!)
てことはプラマイゼロでも動き続けないといけないだけ、面倒じゃないですか!
いいやこういうことを言うときっとあなたは「プラマイゼロは結果論であって、ジェットコースターのように刺激的な人生にするにはプラス(良い気分)とマイナス(悪い気分)のふり幅をデカくした方がいいんだよ!」と言うでしょう。
確かにそれも一理ありますが、大きい良い気分を味わうために大きい悪い気分まで味わいたくありません。
そう言うときっとあなたはこうくるでしょう。
「どうせ最後は死という強烈な悪い気分が誰しも待ち構えているんだから、逃げても何もしなくても最後は死という網に捕まるんだよ。それだったら激しく生きて、逆に死すらも大した悪い気分でもないというダイナミックな生き方がいいよ」
私「!」
一体誰に向かって、訴えているのか分からなくなってきたので、今日のところはここまでにします、おやすみなさい~
たいのですが、なかなか難しいですよね。